香林坊から広阪通りを小立野台へ上がる途中にある兼六園は、日本を代表する大名庭園として知られ、一年を通じて国内外から多くの人々が訪れる。金沢城外廓の台地を生かし、自然の持つ美と人の手による芸術を見事に調和させたこ兼六園は、春の桜から冬の雪の風景まで四季折々の美しさを見せてくれる。
総面積114,435.65平方メートル(約34,600坪)、樹木の数8,500本にも及ぶこの広大な大庭園を隅から隅まで歩き回れば、いろんな発見があるかもしれないが、全部は語りつくのは至難の業のように思える。しかし、四季の兼六園の姿を少しでも伝えることができれば喜ばしいことである。
毎年11月1日になると、兼六園は冬支度をはじめる。 そのひとつが、雪の重さから、樹木を守るための雪づりである。まさに、円錐形に整然と張られた縄に雪が降り積もったさまは凛とした冬の華である。また、兼六園へきたら一度は寄ってみたいのは重文指定になっている成巽閣であろう。
この建物は、文久3年(1863)に加賀藩主第13代前田齋泰公(なりやす)が、兼六園竹沢御殿跡の一隅に造営した殿閣で、母真龍院(しんりゅういん)の隠居所として使用された。金沢城から東南方即ち「巽」(たつみ)の方位に在るとして造営当初は 「巽新殿」と名付けられたが、明治7年(1874)兼六園(けんろくえん)が一般に公開された時「成巽閣」(せいそんかく)と改称された。成巽閣は、敷地が約2000坪、建坪300坪で二階建て、寄棟造り、柿葺き(こけらぶき)の建物である。
階下は、公式に対面所として使われた謁見(えっけん)の間をはじめ、各部屋とも整然しとた武家書院造りとなっている。階上は群青の間を中心に天井・壁・床の間の意匠に変化を凝らすいわゆる数寄屋風書院造りとし、これらを一つの棟の中に組み入れた巧みな様式となっており、幕末武家造りの遺構として代表的で他に類例がないものと高く評価されている。